コショウと絹と鉱物とカタンのつながり
読んでいて「お」と思ったことがあったので備忘録として残しておく。
まず、ここに出てくる地域はローマ、インド、中国である。
ローマがヨーロッパを広く納めていたために比較的安定した時代が続き、交易は盛んになっていた。
ローマでは身分に関係なく小麦や大麦などの質素な食生活をしていたため、コショウのような香辛料は食事に欠かせないものとなっていたが、気候の問題もあり、ローマ内ではコショウもショウガも栽培できなかったし、当然自生もしていなかった。
当時の料理本を見てみると400品目中300品目にはコショウが入っているなどの盛況っぷりで、戦争の和平にコショウの取引がされるほどであった(コショウすげえ)。
これに対し、コショウやショウガが自生し、農耕的に優位であったのがインドである。
インドではそこらにあるコショウやショウガがローマでは高く売れるので、インドはこれらを輸出した。
同様に中国では、絹がよくとれた。とれたという表現が適切かはわからないが、とにかく得意だった。これもローマと高額で交易していた。
相手のローマといえば、特に自国内にめぼしい製品はなかったため、交換の帳尻が合わず貴金属での支払いをしていた。つまり、鉱物だけはたくさんあったのである。
鉱物が多い国、絹が多い国、香辛料が多い国。それぞれが助け合いながら?成長していく様子は見ていてとても面白い。
カタン内でも香辛料の話エピソードがある。確か商人と蛮族編だったと思うが、香辛料を獲得し船に乗せて持ち帰ってくることでポイントが入る。
どうやら、古代ローマでも香辛料の売買が一番儲かったらしく、富豪への近道とされていたようである。
このようなつながりを知っていると、カタンで遊ぶのがさらに面白くなるのではないかと思い、この先も読み進めていく。
なお、あまり関係がないが、昔の戦車はエチオピアのゾウであったとの記載があり、確かに武器も限られているので戦車としては申し分ない強さだったのだろうなと思った。
ところで読んだところまでではエジプトがその後どのような道を辿ったのか書いていなかったが、どうなったのだろう。きになるところである。運河を開通させたところまではいい感じであったが。